水曜日, 1月 13, 2010

宇宙は無限に広がり無数の『地球』が存在するのだろうなぁ!

 プラネタリウムの五藤光学研究所の明井さんから送られたカレンダーの1月は、ハッブル望遠鏡で撮影したNGC1313だ。光の速さで1400万年。1400万年前といえば、新生代第三紀中新世で、約1500万年前に ヨーロッパ隕石が落下、クレーターを形成する。そして1300万年前 頃からヨーロッパ、南アジア、東アジアなどユーラシア各地にも類人猿の化石が現れる頃だ。ハッブル望遠鏡が捉えたNGC131の電波は、そんな昔に発せられた情報なのだ。なんとも神秘的な時間の流れだろう!?

ハッブル宇宙望遠鏡が捉えた棒渦巻銀河NGC1313
多くの星団を抱える棒渦巻銀河NGC1313は、南天のレチクル座の方向、地球から1400万光年の距離にあり、中心部は差し渡し1万光年、長径は5万光年ある。 

もっと解像度の高い写真は、googleの画像検索で、NASA NGC1313で、簡単に入手できる。

ウィキペディアによると中新世という時代の、大陸はほぼ現在の様相だが、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸は離れている。ヨーロッパのアルプス山脈と北アメリカのロッキー山脈で造山運動が始まった。日本がユーラシア大陸から分離し、日本海が形成された。
気候 は、一般的に温暖であったが、南極大陸には氷床が発達・拡大していた。中新世の終わりには氷床は大陸のほとんどを覆うようになっていた。
生物は、海と陸の生物相はより現代に近づいた。オオカミ類、ウマ類、ビーバー類、シカ類、ラクダ類、カラス類、カモ類、フクロウ類、クジラ類、メガロドンなどは、中新世にすでに存在していた。孤立している南アメリカ大陸とオーストラリア大陸のみ、異なった動物相である。
 地質年代表
海水準変動

月曜日, 1月 11, 2010

筑紫亭


 明治34年創業の100年を超える老舗料亭で、建物は国の登録有形文化財
明治27年(1894年)郷里、中津の景勝・競秀峰を自然保護のため買い取る。
名勝競秀峰一帯が売りに出された時、景観や環境を守るために、福澤諭吉により買い取られ、荒廃の危機から救われる。1950年(昭和25年)に一帯が耶馬日田英彦山国定公園に指定された。
また明治27年には地元大分の耶馬渓の青ノ洞門付近の景勝地が売却されるという話を聞きこれを買い取りまし
た。これは自然保護運動の先駆けとされます。
(福澤諭吉顕彰説明板より)

 ここに仰ぐ競秀峰は、耶馬十景中屈指の眺望を誇り、南画のような風光は、昔より旅人に親しまれてきた。
 福澤諭吉先生は、明治27年3月墓参で中津に帰郷した際、楽しみにしていた耶馬渓を探勝、このあたりに旧中津藩主奥平家の別荘を建てたいものだ、とその絶景を激賞した。
 ところが競秀峰頂上の地所が、売りに出されていることを知り心を痛めた。もし分別のない人の手に渡って、樹木が伐採された場合勝景を損なうと考え、地元の名士曽木園治氏を介して、付近1.3ヘクタール(約4000坪)の山林や原野を買い取った。
 お蔭で一帯の土地は後年風致林に編入され、荒廃の危機から救われた。
 福澤先生は、いわば市民環境保護運動の先駆者である。初夏は深緑、秋は紅葉の美しさにひたる時、競秀峰の景観保護に尽くされた先生の深慮と郷土愛に思いを致したい。

 洞門.com
信之介

なつかし屋



小宮裕宣
小宮館長は昭和23年福岡県北九州市生まれ。
おまけの玩具に目を輝かせる、駄菓子屋の常連少年でした。大人になって雑貨販売業を営みながら、出張先の全国各地で駄菓子屋の玩具を収集。昭和63年に福岡市で「懐かし屋」を開店するとともに、平成7年に太宰府天満宮参道で「駄菓子屋のおもちゃ資料館」を開館。子ども時代の思い出を大切にしようという姿勢 に豊後高田「昭和の町」のメンバーが惚れこみ、くどき落としてついに平成14年、本人とおもちゃの「昭和の町」への引っ越しが実現しました。
信之介

昭和の町


 久しぶりに伝統的な鏡餅を見たような気がする。
信之介

湯の花小屋


 竹の骨組みまで完成した明ばん採取の小屋
このあたりは地面に手を置くと暖かい。
信之介

日曜日, 1月 10, 2010

高塚愛宕神社



階段を登る、登る、急な階段に小さな販売店が連なっている。
参拝の人の多さに驚いた。
http://otasuketai.nomaki.jp/oita/takatukasama.htm
信之介

木曜日, 1月 07, 2010

さかむかえ

宮崎県東臼杵郡椎葉村は阿蘇山の南、宮崎県と熊本県の県境付近に位置する。ここでは古くから伝わる民俗文化が伝わっている。そのひとつに「さかむかえ」がある。
私は、約15年前に福岡県の博多と小倉の中間にある玄海町の農村に移り住んだ。この集落の「御堂組」をかたった(加わった)。「御堂組」には「さかむかえ」という行事がある事を知った。というよりいきなり当番に組み込まれ、真夜中に車に乗り合わせお札をもらいに行った。正月4日にトリスキの宴会に呼ばれた。
「さかむかえ」は、12月31日の23時過ぎに御堂組の当番(3軒づつ交代)が、約30キロ離れた海の中道海浜公園入り口の「志式神社」で軒数分のお札(1本1000円)をいただく。そのお札を松の内に本当番の家(最近は公民館)で鳥肉のスキヤキで宴会をして配る。宴会の材料と酒は御堂組の軒数で頭割りして負担する。2010年わが家は喪中なので不参加だが、お札1000円と分担金1100円を払った。
なぜ遠く離れた志式神社に参拝するのか?そして「さかむかえ」とは何か?今の御堂組では詳しく知るものはいない。

そこで「さかむかえ」をgoogle検索した。
http://www.ne.jp/asahi/laurisilvae/forest/profile.htm
ぴろりん、うつぼっと夫妻のウェブサイトを見つけた。==============================
http://www.ne.jp/asahi/laurisilvae/forest/sato/yatate.htm 
矢立祭祀考(やたてさいしこう)によると以下の通りだ。

(5)酒迎え(さかむかえ)※ 

 地蔵迎えともいい、近隣の北郷村にある宇納間地蔵の鎮防火災の札を迎える祭り。宇納間地蔵は、防火の霊験あらたかということで、近辺のみならず、熊本県、大分県からも、例大祭の参拝者は多い。この防火札は、各家庭に2枚、旧道の交わる場所(辻)に各 1枚貼るのが習わしとなっている。例年、くじ引きで代参者2名を決め、集落全体のお札を入手してもらうのだが、その慰労会と、地蔵への信仰の祭りとして、 この行事がある。集落全員の祭り。
※この記述について、九州ハイランド観光ガイド・インストラクター協会副会長の井澤さん(熊本県在住)から、次のようなメールをいただきました。 「酒迎え」の表記ですが、私も以前はこのように書くと思っていました。「どうかくのか?」と尋ねられ、郷土史家の先生に聞きましたところ、集落の代表者がお参りしてお札をいただいてきたのを、村のはずれ(他の村との境)まで出迎えて労った。だから「さかむかえ」「境迎え」と表記。
矢部の中川さんというおじいさんは『その「さかむきゃ」(私には老人はこう発音したように聞こえました)の飲み方をした小さな原っぱのことを「さかむきゃばる」と呼んでいた』そうです。こちらでの「境迎え」は、阿蘇神社にお参りしてお札をいただいてきたときで、今は公民館で開催。


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矢立祭祀考に示されたように、さかむかえ(酒迎え・境迎え)は鎮防火災の札を迎える祭りである。志式神社も宇納間地蔵と同じように『防火の霊験あらたか』だそうだ。我が『高向』集落は、九州で最も賑わう繁華街「天神」まで車で1時間ほどの地にある。ここに九州各地に古くから伝わる「さかむかえ」が伝えられている事に驚きを新たにした。しかし大晦日に志式神社二出かけ、トリスキの宴会を準備するのが大変なので、少しずつ参加を辞退する家が出始めている。

椎葉村ホームページ