火曜日, 3月 06, 2012

何故「それはスポットライトではない」を聴き続けるのだろう

少し暖かくなって、そこここに春の気配を感じる事ができる今日なのだが、なにか活動的になれない。昨日からMP3TUBEで浅川マキーそれはスポットライトではないを聞いている。
日常は何事もなく変化しながら過ぎて行く。しかし止まったままの時代が、日常の下に敷き込まれているのが、つくしが頭をもたげるように、寒桜のつぼみが膨らむように、違和感を感じさせるようなのだ。
一つはベトナム戦争だ。それから絶え間なく続く殺戮の時代が、新しい不幸な出来事に敷き込まれていく。
そして311FUKUSHIMAだ。かつて公害という企業による化学汚染が蔓延し、世界に拡散した。これは企業が資金を惜しまなければ技術的に再発は押さえられた。ところが資金と技術ではどうすることもできない、そう時間だけにしか解決できない環境汚染が、殺戮の高度化を維持する為に引き起こされた。
かつての東大全共闘議長山本義隆「福島の原発事故をめぐって」みすず書房は、アメリカのマンハッタン計画で原爆が開発された時から、核兵器と原子力発電は表裏一体の関係だったことを強調している。
そうなのだ、アメリカの言いなりになって消費の拡大再生産で世界を支配する片棒をかつぐ「日米安全保障条約」を止めることしか、この憂鬱から解放される手段はないのだ。
世界がアメリカ中心に回り続ける限り、富は一極集中を続け、そこからはじき飛ばされた人々は、力で抵抗しようとする。それが今の日本でもずうっと続いている。OKINAWA、FUKUSIMAあるいは、日本各地の生産手段を奪われた人々の闘いだ。
日常生活空間にまき散らされるヨシモトの芸人達に責任はないが、これほどの重い下敷きの上にフワーッと軽く明るい社会を、あたかもスプレーの匂い消しや除菌スプレーのように広げられては、違和感が大きくなる。
そんな事も「浅川マキ-それはスポットライトではない」が響くのかもしれない。思いつくままに(2012.3.6)

0 件のコメント: