知人が墓碑に 「倶會一処」と刻むという。夫と妻、それぞれの親の墓を一つにするという考えはとても自然だ。わが家でも真剣に話しをしようと思った。散骨で海に葬るというのもロマンチックだが、盆や正月に縁のあった親族が眠る「倶會一処」と記された墓に参るのは「家」を脱し「核家族」を結びつける思想になるような気がする。
倶會一処は 「くえいっしょ」と読み、和文にすると「倶(とも)に一処(ひとところ)で会う」ということです。下記は、 輝峰(きほう)のホームページ より
倶會一處、倶会一処、(くえいっしょ)
出典:仏説阿弥陀経:
下記引用:書籍の中の、原典、送り仮名部分:No.12 P069-L07。 訳文、語釈部分:No.10 P124-L07。
仏説阿弥陀経: | |
原典 送り仮名 | 又舎利弗、極楽国土、衆生生者、皆是阿鞞跋致。 其中多有一生補処、其数甚多。 非是算数所能知之。 但可以無量無辺阿僧祇劫説。 舎利弗衆生聞者、応当発願願生彼国。 所以者何、得与如是諸上善人倶会一処。 又舎利弗、極楽国土ニハ、衆生生ズル者、皆是阿鞞跋致ナリ。 其ノ中ニ多ク有リニ 一生補処ノモノ 一、其ノ数甚ダ多シ。 非ズ 三 是算数ノ所ニ ニ 能ク知ル 一 レ 之ヲ。 但可シ 下 以テ ニ 無量無辺阿僧祇劫ヲ 一 説ク 上。 舎利弗、衆生、聞カン 者ハ、応シ ニ 当ニ発願シテ願ズ 一 レ 生ゼント ニ 彼ノ国ニ 一 。 所以ハ者何ン 、得レバナリ 下 与(と)ニ如キレ 是ノ諸ノ上善人一 倶ニ会スルコトヲ 中 一処ニ 上 。 |
訳文 | また舎利弗、極楽国土には、衆生生ずるものはみなこれ阿鞞跋致(あびばっち)なり。 そのなかに多く一生補処(いっしょうふしょ)〔の菩薩〕あり。その数はなはだ多し。 これ算数(さんじゅ)のよくこれを知るところにあらず。 ただ無量無辺阿僧祇劫(あそうぎ)をもつて説くべし。 舎利弗(しゃりほつ)、衆生(しゅじょう)、聞かんもの、まさに発願してかの国に生ぜんと願ふべし。 ゆゑはいかん。かくのごときの諸上善人(じょうぜんにん)と、倶(とも)に一処(極楽浄土)に会(え)することを得(う)ればなり。 |
語釈 | *阿鞞跋致(あびばっち):不退転。 *一生補処(いっしょうふしょ):菩薩としての最高位。次の生(しょう)で仏となることができる位。 *阿僧祇劫(あそうぎ):数えることが出来ないの意味。 *舎利弗(しゃりほつ):釈尊の十大弟子のひとり。智慧第一。 *衆生(しゅじょう):生きとし生ける者。 *聞かんもの:極楽国土、及び阿弥陀仏と聖衆(しょうじゅ)のことを聞くもの。 *上善人(じょうぜんにん):菩薩などの聖者 |
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