雨にも負けず、風にも負けず、日差しの強くなるまでに畑仕事を終え、ゆったりと緑の中で朝飯を楽しみ、しばし電子的なあるいはグーテンベルグの銀河系を彷徨い、軽い昼飯をいただき、日差しが和らぐ頃に畑仕事に精を出し、汗を流した後の一杯の赤ワインを楽しみに生きてゆきたい。そんな暮らしの中心にFarmingがあることが生き甲斐になっている。道法自然に生きたいと願っている。
土曜日, 11月 06, 2010
鹿児島市立美術館で田中一村展
鹿児島の路面電車内で会期が翌日までの田中一村展の案内を見た。予定が早めに終わったので立ち寄った。なんと8才〜晩年までの全作品が展示されていた。奄美の作品が知られているが、生前は全く知られることのなかった芸術家の全貌を明らかにした見事な展覧会だった。
ゴッホも田中一村も没後評価が高まったが、生存中は極貧の中で制作に没頭した。先の見込みがなければ制作に没頭できないという、著作権長期化推進派に突きつけたい思いだ。
加えて商業的展覧会でないため、見事な図録が安価で入手できた。
ウィキペディアによると
* 1908年 - 栃木県栃木市に生まれる。
* 1926年 - 東京市芝区の芝中学校を卒業する。
* 1926年 - 東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科に入学したが、同年6月に中退。
* 1931年 - それまで描いていた南画と訣別。
* 1938年 - 千葉に暮らす
* 1947年 - 川端龍子主催の青龍展に入選。
* 1953年 - 第9回日展に「松林桂月門人」として出品するが落選。(この年12月25日奄美大島が日本に返還される)
* 1954年 - 第10回日展に出品するが落選。
* 1955年 - 九州・四国・紀州をスケッチ旅行して回る。
* 1957年 - 第42回院展に出品するが落選。
* 1958年 - 第43回院展に出品するが落選。奄美大島に渡る(50歳)。
* 1958年 - 生計を立てるため大島紬の染色工として働き始める。
* 1977年 - 9月11日没。享年69。
* 2001年 - 奄美に田中一村記念美術館が開館。
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