月曜日, 11月 10, 2014

僕はなぜ?お米をつくるのだろう?(その3)

米づくり3年目の2014年は2町歩を超えた
1反(10a)は300坪、1町(10反1ha)は3000坪
なんとも恐ろしい広さになってしまったっことか

田んぼを手にするまでは米作りがしたいと願った
3反の水田での掛干しは新鮮で楽しかった
畝間が空き、蛇行した田植えも稲が見事に覆い隠した
バインダーで稲刈りをすると紐で束ねてくれる
文房具のバインダーはここから派生したのかと納得
田んぼの脇に並ぶ歩道の手すりが丁度良い掛干し場
水分を計りながら1週間かからないで乾燥した
キャタピラで移動しながら脱穀するハーベスタ
コンバイン袋に約30キロづつ収めて倉庫へ
昔ながらな精米所で籾スリ・精米して完成
日本の「おこめ」はこうして脈々とつくられてきた

2013年の5反の掛干し夢つくし栽培は
干す作業と脱穀作業での腕の上げ下ろしは疲れた
でも日本の原風景「掛干し」を守った

しかしコンバイン刈り、遠赤乾燥の米づくりは違った
農業従事者高齢化の現実に直面した
これまで30町も米を作って来た方が止めると言った
多くの水田所有者(地主)は返されても困る
地域の水田耕作者約10人が集まって10町近くを分担
僕にも約5反が回って来た
考えてみれば僕は今年65才を超えていた
農家の平均年齢を上回っているのだ
米作りを始めて3年目の高齢者が2町歩の水田を任された

これは日本の貧困ではないか

まったなしに6月はやってきた
灌漑池の堰が切られ、水路を水が回りだした


(2町歩の米づくりの幕が落とされた・・・続く)


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