火曜日, 2月 22, 2011

日本そして日本人はガラパゴス化してしまったのか?

株式日記と経済展望より全文引用
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/8d45e0ae13baac51b546a77ecbe675d7
日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり カレル・ヴァン・ウォルフレン著



アメリカ文明の下で浦島太郎化した日本人
〜書評『日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり』


こ の書の視点は、1989年の冷戦終結後、1991年1月の湾岸戦争や同年12月のソ連邦の崩壊を経て、世界の覇権国家として躍り出たアメリカという国家の 歴史的役割について、ふたつの代表的な書を批判検討し、覇権国家アメリカの歴史からの後退を予見し、歴史認識に変更を迫る意欲的な論考だ。
同書で著者が批判する書のひとつは、冷戦後アメリカが世界で歴史的な役割を担うとしたフランシス・フクシマの著作「歴史の終わり」(1992)。そして、 もうひとつは、西洋文明と他の文明の対立を不可避と分析したサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」(1998)の世界観である。著者は、このふたつの書を批判し、覇権国家アメリカの終焉を説明する。と同時にアメリカという色眼鏡で世界を見る日本人の世界認識に変更を迫る提案でもある。



1 覇権国とは何か

 
まず著者ウォルフレンは、第1章「アメリカの覇権は終わった」で、「覇権」という文言の定義から始める。

 「覇権とは単に支配を意味するものではない……覇権とは、よりゆるやかな形で実行される支配を意味する。ゆるやかな形とは、覇権国によって支配される国々が、ある程度まで、その支配が及ぶことを自ら望むという形である。


ま た覇権をもつことは、世界のあらゆる事象をみる際のフィルターになることを意味する。つまりゆるやかな支配を受ける国々が、覇権国の眼、つまりアメリカ政 府のフィルターを通じて世界の現実をみることになるのだ。このことによって……グローバリゼーションなる物語が、なぜかくも世界各地で受け入れられたかに ついての説明がつくだろう。」(本書 54頁)

 
つまり、ウォルフレンは、私たちはの眼は、アメリカというフィルター(色眼鏡)を通して、世界を認識していること、同時にアメリカという覇権国にどことなく依存する心理が働いていることを明らかにしている。考えてみれば、今 でもアメリカとの同盟関係を大事にしていれば、日本経済の持続的発展は可能だと思っている経済人や頑迷な保守政治家を見かけるが、まざにウォルフレンは、 そのような人物の心理を上手く説明しているのである。もっと言えば、私たちの心は、覇権国家アメリカの発するプロパガンダに骨の髄まで洗脳されているとい うことも出来る。
現に、9.11以後のアメリカのナショナリズムの異様なほどの高まりの中で、「テロの脅威」が喧伝され、日本 の首相だった小泉純一郎は、イギリスのブレア首相などと共に、いち早くブッシュの期待に応える形で、アメリカの「アフガニスタン軍事侵攻」に支持の態度を 鮮明にした。

 
しかし、アフガニスタンへの軍事侵攻は、9.11の首謀者とされたアルカイダ幹部が、アフガンを軍事的に支配しているタリ バン政権に匿まわれているという憶測に基づくものであった。当時、国連は、怒りに任せたブッシュ政権の軍事行動を諫めることは出来ず、ついに「テロの脅 威」という覇権国アメリカによる政治的スローガンは、2001年12月20日に採択された国連安保理決議1386によって国際的認知を受けて、国際治安支 援部隊(ISAF)が、アフガニスタンに展開することになったのであった。

 

2 金融帝国と化したアメリカの論理「グローバリゼーション」とサブプライムローン危機

 
何 年か後に、このウォルフレンの最新著「日本人だけが知らないアメリカ『世界支配』の終わり」は、21世紀の新たな世界秩序を予見した歴史的名著として評価 される可能性がある。この著作は、20世紀の覇権国アメリカの時代の終焉を見通し、新たな世界秩序のコンセプトの胎動を知らせる書だ。
その根拠の第1に、この著が、世界経済にBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国を指す)の躍進という強烈な風が吹いていることを強く意識しつつ書かれている点だ。
本書は、現代世界の認識構造が、アメリカという国家から発信される「増幅された情報」に基づいて形成されている事実を鮮明にしている。
例えば、「9.11」以降、持ち出された「テロとの戦い」あるいは「テロの脅威」というプロパガンダである。しかし皮肉にも、歴史は、冷戦終結後、覇権国 家と呼ばれて久しいアメリカが、実は彼らの強力な軍事力、政治力、経済力そのものが、新しく形成されつつある世界の秩序を平和裡に保っていけるシステムで はないことを鮮明にしている。
ブッシュが「テロの首謀者を捉える」と、いきり立って軍事介入をしたアフガニスタンは、依然として、その目的を果たし得ていない。また核兵器の存在を口実にしたイラク派兵は、核が存在しなかった事実が明らかとなり、それ自身が完全に失敗だったことが明確になった。金融帝国の様相を呈し、世界中のお金をブラックホールのように吸い上げてきたアメリカ経済だが、その内実はサブプライムローン問題によって、実は根拠のない不良資産の証券化だったことが暴露された形だ。

  グローバリズムは、アメリカという幻想国家が、自分のご都合主義で唱えている「市場原理至上主義」ともいうべきお題目である。その無秩序な市場原理主義経 済(グローバリゼーション)がもたらすものは、世界的な格差拡大と分配の不公平、そして貧困の増大である。ここにこそ「テロの根」がある。
覇権国家アメリカの権威を以て当然のように語られてきた「グローバリゼーション」は、言ってみれば、無秩序な市場原理主義経済の鍵のようなものだ。これに よって、国家の枠組みや地域経済の伝統的倫理観などをほとんど無視した形でこじ開けられ、形成された経済秩序は、覇権国家アメリカと世界的大企業とそこに 参加する意志のある豊かな資金力を持った新興国家「中国」「ロシア」などによる新たな世界秩序の形成に向かって進んでいるのかもしれない。
根拠の第2は、アメリカの一極支配に、ヨーロッパという古い枠組みを「EU」と、衣更えをして、形成されつつある存在があることだ。現にこの「EU」の強 みは、「ユーロ」という「ドル」に代わり得る世界通貨を発行していることだ。そのため、現在の石油高騰にもかかわらず、「ドル」に連動している「円」や他 のアジア諸国と比べ、その悪影響は、「ユーロ」高の為替相場によって、軽減されている。
ユーロ諸国は、宗教観、歴史の発展段階に類似の ものがあり、歴史観も似ていて、その世界観は、今後の世界に決定的な影響を及ぼすことが予想される。その第1が、環境問題への取り組みの真剣さである。こ の姿勢は、京都議定書の批准すら拒んできた温暖化の元凶とされる二酸化炭素の最大の排出国アメリカの消極的な態度とは、まさに好対照である。世界認識にお いて、環境問題への取り組みは、今やもっとも優先すべき世界的な課題である。覇権国アメリカが、あくまで自国の利害を優先した態度をとり続けるのであれば、アメリカの存在感は、間違いなく低下の一途を辿って行くに違いない。
最後の根拠の第3は、21世紀に大国化すると予想されている「中国」への歴史認識の確かさだ。現在中国は、一部ではあるがこれを「モンスターと見なす」認 識が広がっている。もちろん、これは過剰な中国脅威論のひとつではある。著者ウォルフレンは、世界中で喧伝され、日本の政治家や官僚の中にも根強くある中 国を脅威論で見がちなあり方に疑問を呈している。そして、その論理をテコとしたアメリカ政治の立案者の頭にこびり付いている中国封じ込めの政策を「現実的 ではない」とする立場を取る。要するに日本は、冷戦時代の日米同盟関係のフレームという幻想の中にいるのである。
また覇権国アメリカが台頭著しい中国マネーなしでは、夜も日も明けないことを次のように記している。

 「ア メリカ経済はいまや中国の輸入と、中国が購入するアメリカ国債に依存している。……もし中国がアメリカ国債を買うのを止めれば、それだけでアメリカ経済は 壊滅的な打撃を受けることになる……それだけでドルは暴落し、おそらく7兆ドル規模を誇るアメリカ不動産市場も崩壊し、アメリカの銀行は次々に倒産し、お びただしい失業者を生み出すことになるのだ。」(同書 270頁)

 以上のことは、中国経済が、覇権国家と呼ばれるアメリカの経 済に深く食い込み、重要なパートナーに成長しつつあることを意味している。アメリカ経済のキャスティングボートを握っているとまでは言えないが、アメリカ 国債の購入でも、中国は日本を抜いてしまっていることを考え合わせるならば、少なくとも中国経済がおかしくなれば、アメリカも只では済まない関係にあるこ とは事実である。

3 結論 今の日本人は「浦島太郎」状態

 
政財界の人間はもとより、日本人全体が、認 識しなけらばならないことがある。それは世界経済構造が、劇的に変化している現在の状況下において、旧態依然とした「日米関係を大切にしておけば、日本の 政治経済の持続的発展は可能だ」という発想は、明らかに竜宮城から帰ってきたばかりの「浦島太郎」と何ら変わらないと知ることだ。ともかく、日本人には、 発想の大転換が必要だ。

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