僕が、1969年からずっと引きずってきた新宿駅西口地下広場との関わりを行動で解決しようと、当時の仲間の一人「おおきせいこ」さんが毎週土曜日地下広場に立ち始めた。それを聞いた僕は、今はWEBサイトと併せて意志を示すのが良いと思い、サイト作成をサポートした。2003年9月20日に最初の記事が投稿されてから、間もなく6年目を迎えようとしている。
そのサイトが9月8日に1万ページビューを超え10162pageを記録し、その日の訪問者も506人を越えた。24時間常に300人を越える人が訪れている。この数字は1969年5月初旬地下広場の反戦フォークに人の輪が出来ていた人数に近い。それを超える人の輪を40年後に「おおきせいこ」さんがひとりで創り出した。あの時は土曜日だけだったが、「明日も晴れ」には1年365日24時間絶える事なく数百人の人びとが日本各地だけでなく世界各地から訪れている。
ぼくはワールド・ワイド・ウェブ(WWW)が本当の意味でひとりひとりの行動を支える仕組みの象徴だと思い、その一端に関われたことを喜びとしている。
===================以下「明日も晴れ」より
サイトの「おおきせいこのページ」
あれから三十四年、私は昨年ベトナムを訪ねる旅で知り合った友人の一人と
新宿西口地下広場で反戦の意思表示をする事を決め、毎週土曜日に立ち始めました。
このページを訪ねて下さった皆さんに!
この「明日も晴れー大木晴子のページ」は、市民運動や新宿西口地下広場の事だけでなく
我家の柴犬ジローと歩む中から、生活の場から思いを語る事ができればと願っています。
地下広場で反戦・平和の意思表示をするのと同じく
戦争のことなど生活の場でふれることがなかった人たちにも見ていただき
いま「自分にできること」を考える一歩にしていただければ嬉しいです。
(おおきせいこ)03-10-22
以下は、2003-10-15のニュースより
"ひとりひとりが自分で自分の旗をつくること"これが、いまだ実現されていない「民主々義」の「原点」の風景のように思います。
「原点が実現されていない」というのは、なにか矛盾したことのようにも聞こえますが、「原点」というものを僕は単なる起源ではなく、何度もそこに回帰してゆき、また、そのつど、とりもどしてゆく場所だと考えています。
新宿駅西口地下広場に立ち始めたおおきせいこさんに届いたメールが印象に残ります。
そして民主主義の理想形態とされる「直接民主主義」が「現実的な不可能事」としていまだ実現されていないように、その「原点」もまだ実現されてないように思うのです。小田マサノリさん
以上は、2003-10-15のニュースより
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